大河ドラマ「龍馬伝」

第二十三話「池田屋に走れ」3

神戸海軍操練所は文久三年に幕府が17000坪の土地と3000千両の資金を約束し、翌元治元年に5月に設立されました。 勝塾はあくまで私塾なので、初めて公に認められた海軍士官養成機関、海軍工廠です。 しかし、神戸海軍操練所は尊皇攘夷派の志士たちが多く、海…

第二十三話「池田屋に走れ」2

望月亀弥太が長州藩邸の門前で自刃したのは事実ですが、他の設定がちょっと強引過ぎるように感じた。 望月亀弥太は、かろうじて一命を取りとめますが、長州藩邸に行ってはいけなかった。 長州藩が池田屋事件にかかわったとなれば、さらに長州藩の地位が失墜…

第二十三話「池田屋に走れ」1

池田屋事件。 京の街を震撼させた一大事件です。 ドラマでは龍馬は京都に駆けつけていますが、龍馬は京都にいなかったと思います。 京で、長州が何かをしようとするのはうすうす感じていたようです。 このドラマには出てきてないようですが、北添佶摩に行動…

第二十二話「龍という女」7

画像右上:

第二十二話「龍という女」6

龍馬が暗殺された後、お龍は長州の三吉に連れられ坂本家に行ったらしいが、馬が合わず各地を転々とした。 30歳の時に再婚し、晩年はアルコール依存症(アル中)で、それが原因で亡くなったようです。 画像右上:

第二十二話「龍という女」5

http://d.hatena.ne.jp/mah-kun/20100520 画像右上:

第二十二話「龍という女」4

楢崎龍。 1841年に医師の楢崎将作の長女として京都で生まれた。 ドラマで妹を救いに行くのが描かれておますが、これは史実です。 龍馬が乙女に宛てた手紙の中に書いてあります。 気が強く、自由奔放な性格が龍馬と合ったのでしょう。 画像右上:

第二十二話「龍という女」3

角谷やすひと氏:イラストレーション展 6/1〜6/30 六本木ヒルズ ハートランド 19日は僕の友人のバンド演奏があります。 僕も東京に行きます。 僕? 僕はサッカーワールドカップ、オランダ戦が夜8:30からなので当然、東京ドームまたは聖地、国立競技場のパブ…

第二十二話「龍という女」2

真木よう子は演技上手くないね。 ちょっとイメージしてたのとは違う。 画像右上:

第二十二話「龍という女」1

なんか、泰造かっこいい。 画像右上:

第二十一話「故郷の友よ」7

こうして8月18日の政変が起き、土佐勤皇党の獄が始まりました。 勤皇党の帰藩が命ぜられますが、龍馬等海軍塾の塾生は命令に背いたため再び脱藩の身になってしまいました。 龍馬始め、土佐藩の塾生は悔しくてたまらなかったでしょうね。 極論かもしれません…

第二十一話「故郷の友よ」6

孝明天皇は松平容保を非情に頼りにしていた。 異人は嫌いではあるが、このような京の情勢は決して望んではいなかった。 またもう一人頼りにしていたのが、薩摩の島津久光です。 春に上洛した時には自藩の浪士を鎮撫し、京の治安を守った。 姉小路公知が薩摩…

第二十一話「故郷の友よ」5

岩崎弥太郎が久しぶりに登場しました。 相変わらず、材木を売り歩いていましたね。 武市と出くわした時はシリアスな演技でした。 また、これが武市の悲壮感に拍車をかけていたように思います。 武市はどのような心境で高知城を眺めていたのでしょう? それで…

第二十一話「故郷の友よ」4

武市半平太と妻、富の別れのシーンは、僕の中では今までの「龍馬伝」の中でのベストシーンですね。 ダントツのベスト1です。 流石、福田さん、大友さん。 実際はこんなドラマチックではなかったでしょうが、ドラマとしてみたら最高の脚本と演出です。 福田靖…

第二十一話「故郷の友よ」3

この頃の幕府の京における一大勢力は会津です。 京都守護職は松平容保、京都所司代はすでに、その勢力だけでは京の都は到底守れませんでした。 その松平容保の支配下にあったのが壬生浪士組(後の新撰組)です。 元は将軍の上洛警護のために京に上ったのです…

第二十一話「故郷の友よ」2

8月18日のクーデターが土佐勤皇党の壊滅の決定打になったわけですが、なぜこの時期に会津と薩摩が手を結んだのでしょう? 薩摩は薩英戦争で疲弊して、武力の大半は薩摩にいた。 しかし、8月13日、孝明天皇の神武天皇陵参拝、攘夷親征の詔勅が発せられてまし…

第二十一話「故郷の友よ」1

武市は投獄覚悟で土佐に戻っていたのだと思います。 妻、富との朝餉のシーンは涙を禁じえませんでした。 多くの方だそうだったのではないでしょうか。 画像右上:奥貫薫:武市富役 新装普及版 武市半平太伝作者: 松岡司出版社/メーカー: 新人物往来社発売日:…

第二十話「収二郎、無念」6

平井収二郎とともに、間崎哲馬も切腹させられていますが、間崎は勝の面会状を貰うために龍馬と一緒に春嶽に合ってます。 龍馬はそれほど、土佐の攘夷派と袂を分かっていたのではないのかもしれません。 交わりを持ちながら、試行錯誤していたのではないかと…

第二十話「収二郎、無念」5

「平井の収次郎ハ誠にむごいむごい。いもふと、おかをがなげきい斗か、ひとふで私のよふすなど咄してきかしたい。 まだ少しハきづかいもする」 以上は乙女に宛て龍馬が書いた手紙の一文です。 兄を失った加尾のことを心配しています。 龍馬は容堂のことを憎…

第二十話「収二郎、無念」4

日本を今一度せんたくいたし申候 龍馬ファンでなくても知っている龍馬の言葉です。 文久3年の6月頃に乙女に宛てた手紙の一文です。 これは平井収二郎が切腹させられた不条理にやるせない気持ちで書いたのでしょうか? 当時の日本のあり方が間違っていると…

高橋大輔

ユーチューブにフィギュアスケートのメダリスト&世界チャンピオンの高橋大輔のスケーティングとリサ・ジェラルドの歌う「龍馬伝」の主題歌と組み合わせた動画がありましたので、載せて見ました。 画像右上:高橋大輔 NHK大河ドラマ 龍馬伝 オリジナル・サウ…

第二十話「収二郎、無念」3

横井小楠が登場します! 松平春嶽に才覚を認められて、越前にいます。 前々から述べているとおり、横井小楠は龍馬に影響を与えた最重要人物だと思ってます。 早くから身分を越えた政治や、外国との交易の重要性を説いています。 吉田松陰に匹敵する人物だと…

第二十話「収二郎、無念」2

土佐藩と薩摩、長州藩の決定的な違いは、薩摩、長州藩は外様ということだと思う。 一藩勤皇をかかげるのであれば、武市はそのことを理解し、行動すべきだった。 画像右上:

第二十話「収二郎、無念」1

文久3年6月 平井収二郎、切腹。 武市はまだ、容堂や後藤の前で吉田東洋批判をしています。 ほんとにこのドラマのとおりなら、武市の馬鹿は死ななければ直りません。 画像右上:

第十九話「攘夷決行」7

画像右上:

第十九話「攘夷決行」6

画像右上:

第十九話「攘夷決行」5

5月10日に長州藩が攘夷を決行しますが、まず最初に攘夷を決行したのは薩摩なのかも知れません。 文久2年、8月21日、横浜で起こった生麦事件です。 その報復として約1年後に薩英戦争が勃発します。 この戦争は講和して終結しますが、薩摩は外国と戦って目が覚…

第十九話「攘夷決行」4

岡田以蔵が武市から突き放されます。 昨日、5月11日は以蔵の命日でした。 初の命日祭が高知・真宗寺山で行われたらしいです。 テロの主犯に正四位が贈与され、以蔵には名誉回復もないので、命日祭が行われたことは、ほんとによかったと思います。 岡田以…

第十九話「攘夷決行」3

平井収二郎が土佐藩士に追われていますが、これは中川宮から藩政を勤皇に改革する令旨を得るため行動し失敗。 容堂の逆燐にふれ、土佐佐幕派に間崎哲馬、弘瀬健太とともに捕縛されてしまいます。 長州が攘夷実行して、形勢が悪くなってきた頃であったと思う。…

第十九話「攘夷決行」2

今から約150年前の今日、長州藩は馬関海峡、田ノ浦沖に停泊するアメリカ商船ベンプローク号に砲撃。 久坂玄瑞が中心となり馬関戦争の火蓋が切って落とされました。 どうも、やべきょうすけさんの久坂玄瑞の攘夷は薄っぺら過ぎるように感じるのは僕だけで…