第二十三話「池田屋に走れ」3
神戸海軍操練所は文久三年に幕府が17000坪の土地と3000千両の資金を約束し、翌元治元年に5月に設立されました。
勝塾はあくまで私塾なので、初めて公に認められた海軍士官養成機関、海軍工廠です。
しかし、神戸海軍操練所は尊皇攘夷派の志士たちが多く、海舟の心を理解できる龍馬を鎹としてリーダーとしたのだと思います。
その海舟の危惧はすぐに「池田屋事件」として起こってしまった。
そして、八月十八日のクーデターに続き、池田屋事件、そして長州の憤りの堰は遂に切れることとなります.......
龍馬の心は複雑だったでしょうね。
が、そんなことを考える暇もないくらい忙しく東奔西走していたのかもしれません。
神戸市中央区新港町
画像右上: