2009-11-01から1ヶ月間の記事一覧

松平春嶽

その後、江戸にて、同じ土佐藩士間崎哲馬と会っています。 そして、しばらくして、この間崎哲馬と越前福井藩主、松平春嶽と会っています。 松平春嶽は佐久間象山の門下生、橋本左内(安政の大獄で処刑)から富国強兵論を学んでおり 早くから開国の思想を持っ…

再び、江戸へ

脱藩後、吉村虎太郎、久坂玄瑞と会談したのは京都。 この頃から京都では、尊皇攘夷派の急進派志士達の手によって「天誅」というテロが横行してます。 そして、先にも述べた、薩摩の寺田屋事件も起きてます。 龍馬は、この京都の状況をどう思ったでしょうか?…

友人の手術

私事です。 昨日、友人が腎臓の手術を受けました。 前日までは看護婦さんの話題で興奮してましたが、今は絶食による空腹と手術の痛みでそれどころじゃないでしょう。 手術後の友人と、その前日に興奮して写メを送ってきた看護師の手:指フェチなんでしょうか…

吉村虎太郎

龍馬脱藩の目的は、上洛する薩摩と行動をともにするという説がありますが、疑問です。 結局は薩摩と行動は共にせず、萩にて、同じ土佐の吉村虎太郎、久坂玄瑞と会談しています。 両名は尊王攘夷の急進派。 このあたりの龍馬の考えが全然わかりません。 どう…

吉田東洋暗殺

龍馬が長州、下関に着いて、約一週間後、土佐では勤皇党のてによって、吉田東洋が暗殺されました。 東洋は藩主、山内容堂が安政の大獄で蟄居され、後、隠居した時に藩政のトップに命ぜられました。 東洋は倒幕に批判的で、武市等と対立し、終には暗殺されて…

酔って候

私は日本酒の熱燗が大好きでした。 寒くなって来ると熱燗が恋しくなります。 けど、私は病気のため、一滴も飲めません。 土佐は大酒のみが多いと聞きますが、龍馬が大酒飲みという話はあまり聞きませんね。 龍馬の銘柄のお酒はたくさんあります。 「土佐のい…

龍馬脱藩2

脱藩の道は、四国内は伊予長浜まで約170キロメートルといわれています。 今でも、歩いて越える道はかなり残っていますので、そこを整備してその町や村が 「脱藩の道を歩こう」といって、催しをやっています。(大体20キロ〜10キロくらいにして、あと…

龍馬脱藩

文久2年に話を戻します。 久坂からの情熱を受け取った龍馬は、その書状を持ち武市に渡します。 龍馬は武市の一藩勤皇に反対だった。 というより、もういてもたってもいられなかった。 脱藩する直前の龍馬(左) そしてついに3月24日、沢村惣之丞と土佐を…

龍馬暗殺

いきなり話が飛びます。142年前の今日、慶応3年、1867年の11月15日 坂本龍馬、京都三条河原町近江屋2階奥にて暗殺される。齢33年 俗に言う近江屋事件である。 人間、坂本龍馬は天に駆け上がった。 自分の年齢は2009年現在、47。 歴史的…

久坂玄瑞

文久2年、龍馬は長州萩で、武市半平太の書簡を持ち久坂玄瑞と会います。 この時、久坂は吉田松陰の「草莽崛起」の考えを強く龍馬に説いたと思います。 松蔭は欧米諸国から、かけ離れて遅れていた日本を憂い過激な尊皇攘夷運動をし安政の大獄で処刑されまし…

井口村刃傷事件

龍馬が土佐勤王党に加わった裏には、この 井口村刃傷事件が大きくかかわってると思います。 大雑把に言えば、土佐の上士、下士の争いです。 土佐藩は関が原以降、山内家の遺臣を上士、長宗我部の遺臣を下士として身分の違いがありました。 「尊王攘夷」はど…

土佐勤皇党

桜田門外の変の翌年、文久元年、江戸にいた武市半平太により土佐勤王党が結成されます。 尊皇攘夷論が国論の中心となり、長州の桂、高杉たちと交流のあった武市も乗り遅れまいと思ったのでしょう。 薩摩でも精忠組が結成されてます。共に下級武士が中心とな…

桜田門外の変

安政の大獄に激高した水戸浪士(薩摩藩士1名)により、 安政7年(万延元年)3月3日江戸城、桜田門外にて大老・井伊直弼が暗殺されました。 この日は雪が降っており、護衛の士たちは刀に柄袋を着け合羽を着ていて、浪士の襲撃に遅れをとってしまいました…

当時、時代を動かしたのは20代〜40代の若者。 勤皇、佐幕 尊皇攘夷、開国倒幕 時代に翻弄された若者達。 彼らは虹の中にいたのだと思う。 虹の中にいたら虹は見れない。 確固としたイデオロギーを持った人物がはたしていただろうか? 桂小五郎が会津に生…

2010NHK大河ドラマ「龍馬伝」キャスト!2

本日、「龍馬伝」キャストの追加発表がありました。 以下のとおりです。 近藤正臣(山内容堂) 第15代土佐藩主 鯨海酔侯の殿様 柳ジョージの「酔って候」の人 田中泯(吉田東洋) 土佐藩参政 青木崇高(後藤象二郎) 土佐藩士 のちに土佐藩参政 リリー・フラ…

龍馬と安政の大獄

龍馬は安政の大獄が、激しさを増し、次々と攘夷派の志士が粛清されるのをどう見ていたのでしょう。 安政5年に、水戸の攘夷派の志士、住谷寅之助と会見してます。 龍馬23歳です。 とにかく水戸は安政の大獄の発端となる、将軍継嗣問題で対立して井伊の粛清…