土佐勤皇党


桜田門外の変の翌年、文久元年、江戸にいた武市半平太により土佐勤王党が結成されます。
尊皇攘夷論が国論の中心となり、長州の桂、高杉たちと交流のあった武市も乗り遅れまいと思ったのでしょう。
薩摩でも精忠組が結成されてます。共に下級武士が中心となってます。


龍馬もこの土佐勤皇党に参加してます。
最初に江戸にいた8人で結成、土佐にいた龍馬は9番目とありますので、土佐郷士のなかではもう中心的存在になっていたとおもわれます。が、はたして龍馬が武市のような熱い「尊王攘夷論」を持っていたかは疑問です。
というか、僕は「まあ、とりあえず入ってみるか」くらいに思ってたと思ってます。
龍馬26歳



土佐の武市住居跡


「世に生を得るは、事を成すにあり 。」