龍馬脱藩


文久2年に話を戻します。


久坂からの情熱を受け取った龍馬は、その書状を持ち武市に渡します。
龍馬は武市の一藩勤皇に反対だった。
というより、もういてもたってもいられなかった。

脱藩する直前の龍馬(左)


そしてついに3月24日、沢村惣之丞と土佐を脱藩しました。
龍馬28歳。

「家具は家を縛り、家は人を縛る」


28年間住んだ土佐を離れるのは辛かったと思う。
また、この裏で悲劇も起きていた。
次姉、お栄が龍馬に刀を渡したと言うことで、罪を背負って自刃してます。
理由は諸説ありますが、自刃したのは間違いないようです。

坂本龍馬脱藩之日記念館:伊予の国大洲市


どういう考えで、脱藩したかはわからない。
龍馬自身もよくわからなかったんじゃないかな〜。
とにかく藩という箍から外れて、日本国の草莽となろうと思ったと思う。


この頃は日本国全体が大きく動いていきます。
大勢は公武合体論が中心となって、皇女和宮が降下、徳川家茂に嫁ぐ。

薩摩は久光が公武調停のため上洛。
この久光に先立って、薩摩の急進派、有馬新七などが京都へ行き謀議を画策。
それを久光が粛清した同士討ちの悲劇 寺田屋事件 が起きてます。


この寺田屋事件、20年くらい前の大河ドラマ翔ぶが如く」でのシーン。
今でも目に焼きついてます。
同じ精忠組同士の斬り合い。
命をかけた志を貫き通す、有馬達の姿勢に真の男の姿を感じました。
また久光の君命を携え、おそらく上意討ちなると思い寺田屋に向かった大山綱良達の気持ちを考えると、やるせない気持でいっぱいです。

現在の寺田屋