再び、江戸へ
脱藩後、吉村虎太郎、久坂玄瑞と会談したのは京都。
この頃から京都では、尊皇攘夷派の急進派志士達の手によって「天誅」というテロが横行してます。
そして、先にも述べた、薩摩の寺田屋事件も起きてます。
龍馬は、この京都の状況をどう思ったでしょうか?
間違いなく「是」とはしなかったでしょう。
このあと大阪にいって、下関で別れた沢村惣之丞と再会しています。
また、吉田東洋の暗殺を知り、下手人とされていることも告げられていると思います。
その後、東下し、千葉定吉の道場に戻ってます。
ご存知の方も多いでしょうが、千葉定吉は北辰一刀流の創始者、千葉周作の実弟です。
千葉周作の道場からも幕末で重責をはたした人物が多く輩出されています。
門人として清河八郎、山岡鉄舟、山南敬助などがあげられます。いずれも佐幕派ですね。
山岡鉄舟は江戸の無血開城にも深くかかわっており、明治政府にも参政しています。
江戸を戦火から救った勝、山岡、高橋の名前にいずれも「舟」がつくことから
この3人を「幕末の三舟」と呼ばれています。
思想家でもあり、非常にすぐれた人物だと思います。
山岡鉄舟と幕末の三舟の書、左から高橋、勝、山岡
「唯だ道に従って自在あるのみ」禅にも通じていた山岡の語。