第十九話「攘夷決行」5
5月10日に長州藩が攘夷を決行しますが、まず最初に攘夷を決行したのは薩摩なのかも知れません。
文久2年、8月21日、横浜で起こった生麦事件です。
その報復として約1年後に薩英戦争が勃発します。
この戦争は講和して終結しますが、薩摩は外国と戦って目が覚めたと思います。
攘夷など、今の日本では敵うものではないと。
この戦争に因って開国派の江戸幕府に一旦は近づこうと思ったのではないでしょうか?
また、江戸に幕政改革に行った隙に朝廷は攘夷派の長州にすっかり支配されてしまった。
容堂は薩英戦争で薩摩が勝てる訳がないと思っていた。
また、薩摩が長州を快く思ってないことを知っていた。
自分も長州から直接批判され、長州と気脈を通じている土佐勤皇党が憎くて仕様がなかった。
容堂は私怨で土佐勤皇党を葬ったとしか思えない。
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薩英戦争 遠い崖2 アーネスト・サトウ日記抄 (朝日文庫 は 29-2)
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