足跡

慶応3年後半

7月01日 中岡慎太郎と共に十津川屋敷へ向かったのち、松本楼に後藤象二郎をたずねる 7月02日 西郷吉之助より後藤象二郎にあて、柏亭にて有志らと集会を開きたい旨を伝えられる 07月04日 長岡謙吉と共に京都から大坂へ下る 07月05日 大坂にいた…

船中八策

船中八策については諸説あります。 慶応2年(1867年)6月、坂本はいろは丸沈没事件を解決させたのち、 京都に上洛していた前土佐藩主の山内容堂に対して大政奉還論を進言するため、藩船の夕顔丸で長崎を出航し、 上洛中の洋上で参政の後藤象二郎に対して提示…

いろは丸沈没事件

龍馬は新たに、伊予大洲藩から「いろは丸」を借用し、海運業にのりだしました。 4月19日、長崎港を出航し、大阪に向けて物資を輸送中、 23日午後11時頃、岡山県六島沖で紀州藩の軍艦明光丸と衝突しました。 いろは丸:画 明光丸は鞆の津へ向けて、い…

慶応3年前半

01月03日 久保松太郎にあて宿舎手配の礼状を記す 01月03日 桂小五郎に年始の挨拶と伊藤九三方に宿泊している旨を伝えた手紙を書く 01月05日 夜分に中岡慎太郎のたずね、翌朝まで快談 01月09日 下関から長崎へむかう 01月11日 長崎にいた…

ワイルウェフ号遭難

慶応2年3月に海援隊(亀山社中)は、薩摩名義の木造の小型帆船を入手しています。 ワイルウェフ号です。 このワイルウェフ号とユニオン号が先に桂と約束した米を鹿児島にはこぶため同年4月末に長崎を出航。 5月2日に暴風雨のため、座礁沈没してしまいま…

寺田屋事件

この寺田屋事件は文久2年の薩摩藩士の同士討ちの悲劇ではなく。 慶応3年1月23日に坂本龍馬を伏見奉行配下の捕り方が捕縛ないし暗殺しようとした事件です。 場所は同じ京都伏見の船宿、寺田屋です。 尊皇攘夷派が集まった宿としても有名です。女将お登勢…

慶応元年・亀山社中

慶応元年、再び浪人となった龍馬は、主に京都、薩摩藩邸に身を寄せることとなる。 文久3年の生麦事件の報復として起きた薩英戦争で薩摩の海軍は疲弊していた。 そこで、龍馬たちの航海技術を必要としたのです。ギブ&テイクですね。 一方長州も禁門の変、外…

勝海舟に弟子入り

龍馬は文久2年の暮れに、幕府海軍の輸送船「順動丸」で兵庫に行ってます。 勝に弟子入りした後は龍馬はめまぐるしく動いてます。 もう、すっかり船の魅力に取り付かれていたのでしょう。 文久3年 高松太郎、千屋寅之助、望月亀弥太、沢村惣之丞、安岡金馬…