ワイルウェフ号遭難


慶応2年3月に海援隊亀山社中)は、薩摩名義の木造の小型帆船を入手しています。
ワイルウェフ号です。


このワイルウェフ号とユニオン号が先に桂と約束した米を鹿児島にはこぶため同年4月末に長崎を出航。
5月2日に暴風雨のため、座礁沈没してしまいました。
海援隊士の池内蔵太・黒木小太郎らが死亡。


池内蔵太は龍馬と同じ土佐藩郷士で過激な尊攘派で、容堂があくまで佐幕的なので、土佐を脱藩。
長州藩内の尊攘派志士達と行動を共にしていましたが、禁門の変の後、下関で龍馬と出会い社中に参加します。


龍馬に非常にかわいがられてたようで、龍馬もその死を非常に嘆いたといまれてます。
大河ドラマ龍馬伝」では桐谷健太が演じます。趣味が妄想という変な奴です。

ワイルウェフ号遭難の碑と墓碑銘





「丙寅五月二日ワイルウェフ被船五島塩屋崎ニ於テ死者十二人。船将黒木小太郎。士官池蔵太。水夫頭虎吉、熊吉。水夫浅吉、徳次郎、仲次郎、勇蔵、常吉、貞次郎、加蔵、幸助、〆十二人」龍馬手帳摘要より