寺田屋事件


この寺田屋事件文久2年の薩摩藩士の同士討ちの悲劇ではなく。
慶応3年1月23日に坂本龍馬を伏見奉行配下の捕り方が捕縛ないし暗殺しようとした事件です。
場所は同じ京都伏見の船宿、寺田屋です。
尊皇攘夷派が集まった宿としても有名です。女将お登勢も有名ですね。
   



薩長同盟の密約が成った2日後の未明に龍馬は幕使の襲撃をうけます。
長州から警護役として三吉慎蔵を付けられおり、危うく一命をとり止めました。
龍馬は拳銃で反撃し、三吉は槍の名手でしたので、槍で応戦しました。

龍馬が応戦した拳銃の同型拳銃



お龍は風呂から裸のまま2階へ階段を駆け上がり危機を知らせたという話が定説となっていますが
お龍は明治後年まで生きていますので、まず事実とおもって間違いないでしょう。

現在展示されてる寺田屋のお風呂



しかし、龍馬は左手の親指を負傷し、お龍と共に伏見薩摩藩邸に匿われます。

襲撃の摸倣画



その後、京都薩摩藩邸に移り、3月まで療養し、3月〜療養も兼ね薩摩へお龍と出向きます。
しばしの間、2人で温泉へ行くなど龍馬にとっては、生涯でもっともゆったりと楽しく過ごした時でしょう。


「私し其内ニも安心なる事ハ、西郷吉之助の家内も吉之助も、大ニ心のよい人なれバ此方へ妻などハ頼めバ、何もきづかいなし」
  龍馬が姉:乙女に書いた最後の手紙より。