いろは丸沈没事件
龍馬は新たに、伊予大洲藩から「いろは丸」を借用し、海運業にのりだしました。
4月19日、長崎港を出航し、大阪に向けて物資を輸送中、
23日午後11時頃、岡山県六島沖で紀州藩の軍艦明光丸と衝突しました。
いろは丸:画
明光丸は鞆の津へ向けて、いろは丸を曳航していましたが、宇治島南4Kmの地点でいろは丸は沈没したのです。
いろは丸は1862年建造のイギリス製商船ですが、明光丸は1861年建造のイギリス製軍艦です。
いろは丸の右舷から蒸気室の横腹に衝突したのです。
明光丸には見張りを立てていませんでした。
この2点で、龍馬側は航海日誌を交換したり、当時の国際法である万国公法で交渉したりして、
紀州藩から損害賠償を取り、近代海難裁判の先駆けとなりました。
いろは丸展示館 広島県福山市
とにかく、この時の龍馬は鬼気迫るものがあったようです。
相手に、非がある場合は一歩も引かない。
流石、社長といったところでしょうか。
また、この事件により岩崎弥太郎との関係が親密になっていきます。
何度も述べているとおり、大河ドラマ「龍馬伝」はこの岩崎弥太郎の視点で書かれています。
岩崎弥太郎役は香川照之さんです。
大好きな役者さんの内の一人です。
いろは丸展示館のある広島県福山市では「龍馬伝」のロケが行われています。
「いずれ血を見ずはなるまいと存じ居り候」龍馬。事件の顛末にて。