慶応元年・亀山社中


慶応元年、再び浪人となった龍馬は、主に京都、薩摩藩邸に身を寄せることとなる。
文久3年の生麦事件の報復として起きた薩英戦争で薩摩の海軍は疲弊していた。
そこで、龍馬たちの航海技術を必要としたのです。ギブ&テイクですね。


一方長州も禁門の変、外国連合艦隊による敗戦(馬関戦争)第一次長州征討で薩摩以上に疲弊しきっていました。
しかし、ここで雄藩2藩が潰れたら、腐った幕府が息を吹き返す。
そして、第二次長州征討が行われようとしていました。

フランス海軍陸戦隊によって占拠された長府の前田砲台



4月龍馬は土佐藩上士、土方久元と会談しています。
おそらく薩長同盟に関する儀でしょう。
薩長同盟は、到底龍馬一人でできるものではありません。
大政奉還の策略然りです。
中心的役割をしたのは確かでしょうが。


5月、坂本龍馬、西郷吉之助、小松帯刀と鹿児島に入る。
直後に、再び横井小楠を訪問しております。
ここで、おそらく、貿易会社「亀山社中草案」について喧々諤々と思案を練ったのでしょう。
その後、大宰府に寄り、長州派の公家、8月18日の政変で長州へ落ち延びた「七卿落ち」の
三条実美東久世通禧に拝謁。
「もうすぐ都に戻らしてやるがぜよ!」いくら龍馬でもお公家さんにこんな言葉使いはしてないでしょうが。


そして長崎に帰って、いよいよ「亀山社中」結成です。
これは、龍馬が大将です。いや、日本初代株式会社、代表取締役です。







「いよいよ日本の夜明けぜよ!」左から3番目が龍馬ですね。
 とても社長には見えません。


それにしても羽織袴にブーツ履く?
どうみてもセンスねーな。
これは、サイドゴアかな〜?
多分、長崎で買ったんでしょうね。