お龍、西郷隆盛


元冶元年、神戸海軍操練所閉鎖後だと思うのですが、お龍と出会ってます。


1841年、医師の楢崎将作の長女として生まれた。
父の将作は井伊直弼による安政の大獄で捕らえられ獄死している。
このため、お龍と母、そして幼い4人の弟妹は生活に困るようになり、お龍はそれを養うために旅館・扇岩で働いた。


しかし間もなく旅館を辞めて天誅組残党の賂いとなる。
しかし天誅組が幕府の追討を受けると、各地を放浪するようになった。
このとき坂本龍馬と出会い、龍馬から自由奔放なところを気に入られて愛人となり
その世話を受けて寺田屋に奉公することとなった。
(以上、フリー百科事典『ウィキペディアWikipedia)』より)

楢崎龍とされる女性写真。


ドラマの中でどのように登場するか楽しみです。
なんてったって大ファンの「真木よう子」ですから。あの吉永小百合も1970年にお龍役やってます。

真木よう子:BGMはサックスプレイヤーのケニーGです。


明治39年に亡くなってますので、103歳以上の人は、お龍と一緒に地球上にいたことがあるんですね。
そう考えると、明治維新なんて、太古の歴史から見ればつい最近の出来事ですね。
応仁の乱から関が原までが、約133年ですから、今から約133年前はまだ西郷隆盛、生きてます!


その西郷とも8月に会ったとされています。
「西郷というやつは、わからぬやつでした。
釣り鐘に例えると、小さく叩けば小さく響き、大きく叩けば大きく響く。
もし、バカなら大きなバカで、利口なら大きな利口だろうと思います。
ただ、その鐘をつく撞木が小さかったのが残念でした」

と後に勝海舟と話したと伝えられています。
それに対して勝は
「「評される人も評される人。評する人も評する人」
と語ったと伝えられています。

有名な上野の西郷どん。妻いとさーによれば全然似てないそうです。


どんな話をしたんでしょう?この幕末の巨人2人は。
薩摩は、この頃どちらかと言えば尊王攘夷派の敵でした。
会津と禁裏の守護にあたってましたから。
というか、この尊王攘夷というイデオロギー自体が曖昧なものになっていたように思います。

一方、龍馬の方も、幕臣勝海舟の弟子となっており、なんとなく似たような立場にあったように思います。
だから、おおきく叩けば大きく鳴った。


この頃から2人の中には倒幕という2文字が大きく実ってきていたんじゃないでしょうか?
中には実る前に木から落ちてしまった者、なかにはまだ芽吹きもしない者もいる。
しかし、時代を鋭く読んでいたこの2人はこれから大きく日本という船の舵をとっていきます。



「小さく叩けば小さく響き、大きく叩けば大きく響く」龍馬が西郷を評した言葉