勝海舟に弟子入り


龍馬は文久2年の暮れに、幕府海軍の輸送船「順動丸」で兵庫に行ってます。
勝に弟子入りした後は龍馬はめまぐるしく動いてます。
もう、すっかり船の魅力に取り付かれていたのでしょう。


文久3年
高松太郎千屋寅之助望月亀弥太沢村惣之丞、安岡金馬らを勝海舟に入門させてます。
高松太郎は龍馬の甥で後に坂本直と名乗り、家督を継いでいます。

高松太郎:ロッチの中岡 創一に似てない?


その後、勝の計らいで龍馬の脱藩の罪が解かれます。
その後の文久3年の龍馬の動きです。


  1月25日 坂本龍馬 大久保一翁に合う
  2月20日 坂本龍馬 京土佐藩邸で7日間の謹慎
  2月25日 坂本龍馬に脱藩罪放免状交付
  3月 1日 坂本龍馬 新宮馬之助と大坂の勝海舟を訪問
  3月 6日 坂本龍馬 安岡金馬と土佐藩より航海術修行の命を受ける
  3月20日 坂本龍馬 姉乙女に勝海舟の弟子になったと手紙を書く
  4月 2日 坂本龍馬 江戸で大久保一翁訪問、松平春嶽宛ての親書を受け取る
  4月 3日 坂本龍馬 「順動丸」で大坂に向う
  4月 9日 坂本龍馬 「順動丸」で大坂に入る
  4月10日 坂本龍馬 和歌山滞在中の勝海舟訪問
  5月 2日 坂本龍馬 勝海舟の使者として大坂本願寺姉小路公知を訪問
  5月16日 坂本龍馬 越前福井で三岡八郎より操練所運用資金借用
                (この夜半か?坂本龍馬横井小楠 三岡八郎邸を訪問)
  5月17日 坂本龍馬 姉乙女に海軍操練所の設立を伝える手紙を書く
  5月27日 坂本龍馬 京越前藩邸に中根雪江を訪問、春嶽公の入洛を願う
  6月29日 坂本龍馬 勝海舟の使者として京越前藩邸に入る 援助金の礼と銃一丁を届ける
    同    坂本龍馬 姉乙女に日本を洗濯すると手紙を書く
  7月 1日 坂本龍馬 近藤長次郎と京越前藩邸で村田巳三郎訪問
  7月 8日 坂本龍馬 村田巳三郎に手紙を書く、吉井幸輔宛に手紙作成の依頼
  7月25日 坂本龍馬 勝海舟に佐藤与之助と連名の手紙を書く
    ?    坂本龍馬 江戸で大久保一翁を訪問、船の貸与を要請
  9月 9日 勝海舟 坂本龍馬、大坂に入る
 10月28日 勝海舟坂本龍馬 江戸に向う
 12月 6日 勝海舟 坂本龍馬らの国許召還延期の嘆願書を書く
 12月31日 坂本龍馬 幕府練習艦「観光丸」で神戸小野浜に入港


また、時の将軍、徳川家茂文久3年に、尊皇攘夷を強く迫られ229年ぶりに上洛しております。
そして、正室和宮の実兄、孝明天皇に攘夷を約束しております。


この時に将軍警護の名目で浪士を募集、浪士組が結成されました。
この時、将軍警護の為の京都残留をした者たちが新撰組の前身である「壬生浪士組」です。
屯所が壬生村にあったので「みぶろ」とも呼ばれていました。

左:土方歳三  右:近藤勇


「衆人が皆善をするなら、己独りだけは悪をしろ、逆もまた然り。」龍馬