文久2年


この文久2年頃は、薩摩・久光の上洛に合わせて、続々と志士、脱藩浪人が京都に集まってきています。

龍馬もこれに呼応するつもりで脱藩したのでしょうか?
しかし実際には、京都には一時寄っただけで、江戸に行ってますね。

薩摩・久光も幕政を正すという名目で江戸へ出立してます。


龍馬の盟友、武市半平太吉田東洋暗殺以来、土佐勤皇党が実権を握りこの年藩を率いて京都に行きます。
そして寺田屋事件が起き、久光に倒幕の意思がないことを知ると、土佐勤皇党は尊王攘夷の中心的存在と
なって行きます。


武市半平太はテロリストの中心人物となって行くわけです。
長州・土佐が京都、禁裏の守護的存在となっていきます。
開国論者たちを「天誅」の名の下に次々と暗殺していきます。
その刺客の中に岡田以蔵もいます。「人斬り以蔵」です。「龍馬伝」では佐藤健が演じます。
武市は自分の思い通りに動く暗殺者が必要だったのです。
しかし龍馬の口利きで以蔵が勝海舟の護衛を行ったこともあります。
龍馬は以蔵を、ただの人斬りの道具のように使う武市から開放してあげようとしたんじゃないかな?



ルーキーズでの佐藤健


「君が為 尽くす心は 水の泡 消えにし後ぞ 澄み渡るべき 」以蔵の辞世の句