勝海舟2


福田靖脚本:木村拓哉主演のHEROが来週テレビで放映されます。
キムタクのドラマでは一番面白かったと思います。
相変わらず、キャラは似たようなもんですが。


他のキャストたちが面白かったですね。
大塚寧々・阿部寛(大好きです)・勝村政信小日向文世八嶋智人角野卓造
映画:HERO


もうすく病気になって2年になります。
仕事はやってなかったので、レンタルビデオ屋でテレビドラマばっかり借りてみてました。
とくに冬は切らしたことなかったですね。
常に4〜8枚はDVDがありました。


来週放映されるのは映画で、その伏線になるテレビドラマがあるので興味ある人は見ておいた方がいいです。
連続でやっていたドラマとは別に放映されたものですので、さがしづらいかもしれません。
堤真一中井貴一が準主役でマドンナ役が綾瀬はるかです。
堤真一中井貴一は演技が上手い!


堤真一ガリレオ福山雅治の容疑者Xの献身にも出てますね。
この映画もよかった。



本題に入ります。龍馬が一番影響を受けたのは勝海舟なので、龍馬に会うまでの勝海舟についてふれておきましょう。
とにかく勝海舟は超天才だったと思います。
三国志で言えば、人徳のある劉備玄徳が最高の頭脳・諸葛孔明三顧の礼をもって迎えたというところでしょうか。


幼少時、11代将軍徳川家斉の孫初之丞(後の一橋慶昌)の遊び相手として江戸城へ召されています。
しかし、初之丞が夭折してしまったため、その役目も終えてしまいます。
初之丞が長生きしていれば、勝海舟の出世の道も早かったろうと思います。

最終的には最後の将軍、慶喜に仕えてますので、一橋家とは何かの因縁があるのでしょう。


笑い話でが「幼少の頃犬に睾丸をかまれて、大の犬嫌いだったみたいです。


とにかく努力家で、剣は直心影流免許皆伝、学は蘭学にも精通し蘭和辞典「ドゥーフ・ハルマ」を2冊
書き写したことは有名な話です。


ドゥーフ・ハルマ


嘉永6年黒船来航時、老中首座の阿部正弘島津斉彬と懇意であり、家定後の将軍に慶喜を推していた。)
は、鎖国を破ることに慎重になり、海防に関する意見書を幕臣はもとより諸大名から町人に至るまで広く募集した。
そして、勝も意見書を提出し、その意見書が阿部正弘の目にとまり、幕府の役人になることができた。
阿部正弘島津斉彬同様、非常に開明的で、勝海舟の意見と波長が合ったのでしょう。
その後、長崎の海軍伝習所に入門した。この時蘭学の成果を発揮し教官となりました。


万延元年(1860年)、咸臨丸で太平洋を横断しアメリカ・サンフランシスコへ渡航しました。
通訳ジョン万次郎、木村摂津守が軍艦奉行並の従者、万冊(笑)福澤諭吉も乗り込んでます。
しかし渡航から帰ってきた勝たちを待ち受けていたのは、歓迎ではなく桜田門外の変で変わりはてた幕府でした。
帰国後、蕃書調所頭取・講武所砲術師範等という役職にあったらしいです。
文久2年(1862年)の幕政改革で海軍に復帰し、軍艦操練所頭取を経て軍艦奉行に就任。


乗組士官の一人、鈴藤勇次郎が描いた「咸臨丸烈風中航行図」:これは綺麗なので多分版画でしょうね?

「自分の価値は自分で決めることさ。つらくて貧乏でも自分で自分を殺すことだけはしちゃいけねぇよ。」