第十一話「土佐沸騰」2


ドラマ内では、龍馬は確実にスケールアップしてクールになってました。
焦る武市に対して、冷静に物事を判断できる龍馬。


「武市さん、異国から日本を守るといいながら、やりゆうことは吉田東洋との喧嘩じゃ。」
全く以ってその通り。
吉田東洋は時勢を読んでいたと思う。
武市半平太がもう少し利発であれば、吉田東洋から認められ、土佐も長州、薩摩から遅れをとることはなかったと思う。


単純な勤皇、攘夷論固執し、一藩勤皇にこだわりすぎた。
それは生きた師匠がいなかったからも知れない。
日本外史」という勤皇思想の書籍だけだったかも知れない。


薩摩では、島津斉彬の下に郷士たち「誠忠組」が集まった。
久光に変わり、思慮の浅い者たち過激派は「寺田屋事件」で葬り去られた。
武市半平太という人間がもし薩摩に生まれていたら、この過激派に入っていたと思う。


しかし、薩摩には大久保利通がいた。(西郷はこの頃は謹慎処分になっていた)
久光に取り入り、上級武士の小松帯刀とともに薩摩をひっぱって行った。


長州では吉田松陰松下村塾で、優秀な人材がたくさん育っていた。
長州も尊王攘夷で熱くなっていましたが、そこには武市とは違って、きちんとした理論の裏づけがあったと思う。
久坂玄瑞高杉晋作尊王攘夷武市半平太尊王攘夷とはあきらかに違うと思う。
龍馬は脱藩前後に久坂玄瑞と頻繁に会っていて、もし武市と久坂の考えが似たようなものなら龍馬の脱藩はなかった。


一番の違いは、久坂の尊皇攘夷は「情熱」で武市の尊皇攘夷は「憎しみ」ではないでしょうか。

「甘いのう龍馬。喧嘩をせんと世の中を変えることは無理ながじゃ」武市半平太



高杉晋作と久坂玄瑞―変革期の青年像 (1966年) (大和選書)

高杉晋作と久坂玄瑞―変革期の青年像 (1966年) (大和選書)

大久保利通 (講談社学術文庫)

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大久保利通 (幕末維新の個性)

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