第三話「偽手形の旅」2
岩崎弥太郎のこの「偽手形の旅」は多分、創作だと思います?
実際には、幼いころから文才を藩から認められていて、1848年(嘉永1年)から高知の紅友舎という塾で学び
1855年(安政2年)から江戸の安積艮斎の塾に学んでいます。
安積艮斎(あさかごんさい)はこの第三話にも弥太郎が名前を出しています。
幕末の朱子学者で江戸で私塾を開き、清河八郎らが学んだ他、小栗上野介や吉田松陰にも影響を与えたとされています。
上記3人は毛色が違い過ぎますね。
幕末の策士、清河八郎。
過激攘夷派の志士ですが、幕府を出し抜いて、後の新撰組を含む浪士組を率いて京都へ出発。
文久三年に佐々木只三郎に暗殺されています。
龍馬暗殺もこの佐々木只三郎説があります。
清河八郎銅像:詳しくはこちらへ
小栗上野介は勝海舟とアメリカへ渡航した幕臣です。
その後勘定奉行、軍艦奉行など多くの奉行を務め、財政再建や
フランス公使レオン・ロッシュに依頼しての洋式軍隊の整備、横須賀製鉄所の建設などを行ってます。
しかし勝と異なり、幕府に執着しすぎたため新政府軍に斬首されてしまいます。
小栗上野介
「奇策とは百に一つも用うべきでない。九十九まで正攻法で押し、あとの一つで奇策を用いれば、みごとに効く。
奇策とはそういう種類のものである。」「竜馬がゆく」の中で、清河八郎を評して:司馬遼太郎
画像右上:清河八郎