第十二話「暗殺指令」2
「大義なれば尊藩(土佐藩)も弊藩(長州藩)も滅亡しても苦しからず」
とも久坂の手紙に書かれてます。
龍馬はもちろん、他の土佐勤皇党の面々にも影響を与えたのでしょう。
久光上洛に合わせて、倒幕挙兵に踏み切るという志士たちもいました。
吉村は平野国臣らが画策する浪士蜂起計画に参加すべく脱藩しますが、寺田屋事件で捕縛されて土佐に送還され投獄されます。
釈放後、再び京都へ上り孝明天皇の大和行幸の先駆けとなるべく中山忠光を擁立して天誅組を組織して大和国で挙兵します。
八月十八日の政変で情勢が一変して幕府軍の攻撃を受け敗れて戦死した。(天誅組の変)
平野国臣
武市は「一藩の君臣を挙げて勤皇せしめる是れ半平太の責なり」といって、松蔭の言った「一君万民」は理解できてなかった。 夜明け前―主役になれなかった群像(天誅組と長州・水戸天狗党)
勤皇といいながら、容堂にこだわったのは、やはり浅学菲才だったと言わざるを得ない。
「我が胸の燃ゆる思いにくらぶれば煙は薄し桜島山」平野国臣
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