第十一話「土佐沸騰」5
安政五年 1858
1月 坂本龍馬 北辰一刀流「長刀兵法目録」を受ける
9月 4日 坂本龍馬 土佐に帰国
11月18日 水戸藩士、住谷寅之助 坂本龍馬に手紙を書き土佐入国の便宜を依頼
11月23日 坂本龍馬 土佐と伊予の国境近くで住谷寅之助と会見
安政六年 1859
9月22日 坂本龍馬 徳弘考蔵に入門、砲術を習う
文久元年 1861
3月 井口村刃傷事件起こる
9月 坂本龍馬 土佐勤皇党加盟
9月13日 坂本龍馬 平井加尾に手紙を書く
10月 坂本龍馬 「小栗流和兵法3箇条」を受ける
10月11日 土佐藩 坂本龍馬の丸亀剣術修行を許可する
10月 坂本龍馬 丸亀、矢野市之丞のもとへ修行と称し長州探索に向う
文久二年 1862
1月14日 坂本龍馬 武市半平太の書簡を持ち長州萩、久坂玄瑞訪問
1月15日 坂本龍馬 長州藩校で剣技披露
1月17日 坂本龍馬 久坂玄瑞と会見、21日も同じく
1月23日 坂本龍馬 久坂玄瑞の返書を持ち萩を出る
? 坂本龍馬 京に入る
2月29日 坂本龍馬 土佐帰国
3月23日 坂本龍馬 武市半平太宅で沢村惣之丞と会う
3月24日 坂本龍馬 土佐脱藩、沢村惣之丞が案内
住谷寅之助は水戸の浪士で、この時の龍馬を「政治にうとく、世間知らず」と評しています。
http://d.hatena.ne.jp/mah-kun/20091101
龍馬の心には、住谷寅之助の言葉は響かなかったのでしょう。
やはり、脱藩の鍵は、長州の天才、久坂玄瑞にあると思います。
「政治にうとく、世間知らず」住谷寅之助の龍馬評
画像右上:松原正隆:住谷寅之助役