横井小楠


12-10に述べたとおり、将軍家茂が上洛し、政治の中心は京都に集中しました。
益々治安は崩壊していきました。


文久3年当初は、長州が禁裏守護にあたっており、朝廷は幕府から攘夷の約束を取り付けております。
そして、長州下関で攘夷急進派が外国艦隊を攻撃しました。


しかし、朝廷内の公武合体派、幕府側は会津・薩摩によるクーデターに出ました。
俗に言う、8月18日の政変です。
三条実美等の尊王攘夷派の公家達は長州へ下っていきます。(七卿落ち


勝海舟、龍馬は外国艦隊長州攻撃慰留工作のため「翔鶴丸」で長崎に向います。
その途上で横井小楠を訪問しております。


この横井小楠との出会いも龍馬に多大な影響を与えているでしょう。
特筆すべきは、「交易」を重視する立場から、外国との通商貿易のすすめを説いたことでしょう。
もろ影響受けてますね。


大河ドラマのキャスティングに横井小楠ないけど、でないのかな〜?
僕は龍馬には欠かせない人物の一人だとおもってます。

「君子の道は身を修めるにあり。」横井小楠