北辰一刀流免許皆伝


安政4年春、龍馬は、斉藤弥九郎の練兵館を訪問してます。
練兵館のは幕末志士が多数入門しています。
長州の桂小五郎高杉晋作品川弥二郎なども練兵館の門下生です。3人とも松下村塾生ですね。
高杉晋作は明治を見ることなく亡くなってますが、他2人は明治政府でも活躍してます。
桂小五郎のちの木戸孝允練兵館で師範代も務め、松下村塾では塾頭にもなってます。
正に、長州の巨頭! 初代総理大臣、伊藤博文(俊輔)など、ひよっこです。

      
木戸孝允


この練兵館は、千葉周作北辰一刀流)の玄武館桃井春蔵鏡新明智流)の士学館とともに、幕末三道場と言われてます。
龍馬は翌年、安政5年に、北辰一刀流「大目録皆伝」を受けています。
士学館には、師範代に龍馬の従兄弟、山本琢磨がいました。
また山本琢磨の母は、武市半平太の妻、富子の叔母でもまります。
したがって、龍馬と武市半平太は遠縁の親戚ということになります。


      
山本琢磨(1834〜1913)          武市半平太立像(高知県須崎市
安政5年、酒で失敗し、江戸を追われ函館に行き、明治元年キリスト教の洗礼を受け、後に司祭にまでなっている。



時は安政5年、幕府では、前年に薩摩寄りだった老中首座の阿部正弘が亡くなり、開国派の井伊直弼大老となり「日米修好通商条約」に調印し、尊皇攘夷で揺れる国内の治安の回復をはかり、病弱な将軍・家定の後継問題では紀州藩主の徳川慶福を擁立して第14代将軍徳川家茂とし、一橋慶喜を推薦する水戸徳川家徳川斉昭松平慶永らを蟄居させた。

世に言う「安政の大獄」のはじまりです。
さあ!日本の歴史が大きく動きはじめます!


龍馬は、この年の初秋、土佐に帰国しています。龍馬22歳。



文書「井伊直弼大老職就任誓詞控」井伊直弼大老職就任にあたり自身で書いた誓詞の控え。