再び江戸へ

河田小龍に出会い衝撃を受けた龍馬は翌年、安政2年土佐藩の砲術調練に参加してます。

安政2年に父・八平が死去してます。
嘉永3年には母・幸死は死去してます。龍馬10歳?の時
安政2年に龍馬は、両親が亡くなった訳です。若干19歳。


坂本八平は、万葉研究家で歌人として著名な鹿持雅澄の門人だったらしいです。
龍馬は、父などの影響を受けて歌の道を志向したり、中国の古典を読んだりしていたらしいです。


「世の人は 我を何とも 言わば言へ 我が成すことは 我のみぞ知る」


私が一番好きな、龍馬の和歌です。和歌というか人生訓ですね。


龍馬は「自然堂」と号してますが、これは老荘思想の影響です。
中国の古典を読んだりしていたとあるので「老子道徳経」も読んでたと思います。
私も、宗教書や哲学書をたくさん読みましたが、老荘思想は自分にも一番しっくりします。
和尚バグワン・シュリ・ラジニーシアメリカでは危険人物扱い、カルト)著作の
「TAO―老子の道」は何度も読みました。

孔子に説教したのは有名な話。
後に孔子は弟子たちに「老子はつかみどころがなく、龍のような人だ」と語ってます。



このマークご存知かとおもいますが、これは道教の陰陽を表してます。
老荘思想に通づる印でもあります。 yin&yang 洋服のブランドでもありますね。


坂本八平も蜘蛛が大嫌い、というような漫画を見た記憶があります。
定かではありません。龍馬の蜘蛛嫌いは有名ですが。
偶然か、私も私の父も蜘蛛が死ぬほど嫌いです。
普段は口も利きませんが、蜘蛛の事になると同盟を組みます。


話がそれましたが、翌年、安政3年、龍馬は再び江戸へ向かいます。
薩摩・長州も動きだしてます。
島津斉彬の影響を受けた西郷吉之助は国事に奔走し始めます。
同年、公武合体を画策する島津斉彬は一ツ橋慶喜を次期将軍にすべく、あの「篤姫」と将軍家定の結婚に成功してます。



宮崎あおい大好きです!可愛すぎ!



本物は正に大奥を守りとおした「天璋院」!