佐久間象山

ペリーが浦賀来航した年の暮れ、龍馬は佐久間象山に入門し砲術を学んでます。
昨日、龍馬が尊皇攘夷と書きましたが、佐久間象山はというと、どうだったのでしょうか?
あの、幾多の英雄を生みだした、松下村塾の熱血教師・吉田松陰佐久間象山の指示をうけてます。
世の中、尊王か攘夷かゆれ動く中で、この2人は、そんなことはどうでもよかったんじゃないかなと思ってます。
吉田松陰佐久間象山
とにかく日本は西洋文明から見て、かけ離れて遅れている。何とかせねばと。
勝海舟も薩摩の島津斉彬もそうでしたが、それぞれ幕府・藩のしがらみからは抜け出せてなかった。


龍馬自身もまだ18歳でしたから、まだ世の中の流れるまま、まだ自分の考えが固まってなかったんじゃないかな?
漠然と自分は尊皇攘夷派ぐらいに思ってた。
攘夷のためには、戦力が必要。だから兵法家でもある佐久間象山に学んだ。


象山は信濃松代藩士・慶喜がまだ一ツ橋の頃、開国論を説いて、尊皇攘夷派に暗殺されてます。
いわゆる「天誅」ってやつです。

ちなみに象山の正室は、勝海舟の妹です。