黒船


嘉永6年の7月のペリー浦賀来航で、風雲急を告げる訳ですが、この時龍馬はすでに千葉道場に入門していて江戸にいます。


9月23日父八平に「異国人の首を討ち取って帰国する」と手紙を書いていますので、この頃は普通の尊皇攘夷派の志士であったと推測してます。龍馬、若干18歳です。
同年、藩命により品川海岸警備についているので、もちろんみていると思います。


「太平の眠りをさます上喜撰(蒸気船)たった四杯(四隻)で夜もねむれず。」


という狂歌がありますが、この上喜撰というのは上等のお茶のことで、四杯の飲んじゃったたから眠れなくなってしまった、という意味です。当時の幕府の慌てぶりを風刺してます。やくみつるの漫画みたいなもんです。




上喜撰でネット検索したら、上喜撰「黒船」というお茶が売ってました。


高校時代、高中正義のファンだったので、サディスティック・ミカ・バンドの「黒船」のギター完コピしました。
これを弾くためにわざわざヴォリュームペダルまで買っちゃいました。