日曜劇場 JIN -仁- 第4話 薩長同盟2

8月18日の会津、薩摩によるクーデターの後、尊攘派は挽回を図るためいろいろ画策をした。
そして、大胆にも、御所を襲撃して孝明帝を長州に連れ帰るという計画が三条小橋の池田屋で話合われた。
しかし、新撰組の知るところとなり、急襲を受けた。


戦闘は新撰組の大勝利に終わり、新撰組の名は京の都に轟くことになる。
桂小五郎は運よく難を逃れている。
龍馬にとってのショックは、海軍操練所の北添佶摩望月亀弥太がこれに参加し、2人とも自刃してしまったことだ。
まだ設立したばかりの海軍操練所が幕府に睨まれることになる。
また龍馬自身も幕府にとって要注意人物になったのは間違いないと思う。


長州にとっては、この事件でさらに薩摩、会津憎しの思いが強くなっていったのでしょう。
感情を理性では抑えきれず、とうとう京に出兵してしまいます。
元治元年7月19日、禁門の変勃発。


迎え撃った西郷率いる薩摩軍と会津軍等に惨敗して、長州は致命的な打撃を受けた。
「仁」の中では龍馬はこの時、御所の中に入ってますが、ありえません。
しかし、久坂玄瑞と龍馬とのやりとりは非常に印象的でした。


久坂玄瑞
「攘夷など糞くらえだ。攘夷など本気で信じてる奴がいたらアホじゃ。長州はアホの集まりじゃ。」
龍馬
「ほいたら、ど〜いてここまで突っ走ったがじゃ。」
久坂玄瑞
「私はこの国を一つにしたかっただけじゃ。日本は外敵に狙われている。
外国に立ち向かうためには、この国は先ず一つにならねばならぬ。でなければ太刀打ちだどできぬ。
だが、この国にはその考えはない。長州や土佐など別の国の人間だと思っている。
それを超え一つにできるものが、尊王であり、攘夷であると思った。
一つになりえるきっかけでさえあればよかったのだ。だが長州は熱くなりすぎた.....」
火が回ってきて、龍馬
「久坂、行くぜよ」
久坂玄瑞
「坂本、お前は間違えるな。この国の未来を............」
久坂玄瑞、自刃絶命。



泣けてきます。
久坂玄瑞、享年25歳。
このブログでも再三書いていますが、本当に惜しい。
生き延びていたら間違いなく長州の筆頭、日本のトップに立っていた人物だと思う。


龍馬も脱藩直前から久坂と頻繁に会っていて。
脱藩には相当久坂の影響を受けていたと自分は思っています。


久坂にしても西郷にしても、自分の意思とは反する意見に圧されて命を失っている。
理性を失った人間の感情は大いに歴史を間違った方向に向かわせる。
しかし、禁門の変で長州人の薩摩に対する憎しみは頂点に達したと言ってもいいでしょう。


こんな中、この2大雄藩の手を握らせるのは至難の業だったでしょう。
桂にしてみれば、こうした状況の中、頭を下げる訳には行かなかった。
おそらく、頭を下げるくらいなら死んだほうがましだと思っていたでしょう。
龍馬はその意思を汲んで、西郷を説得して、薩摩から同盟を切り出させた。


薩長連合構想はいろんな人が思っていたでしょう。
絵を描いたのも、龍馬と中岡だけではないことは明らかです。
でも、最後の詰めは、坂本龍馬にしかできなかったと思います。


薩長連合の批准書の裏には、ただの浪人の「坂本龍馬」の署名があります。
でも、龍馬の凄いところはこれからです。



日曜劇場 JIN -仁- 第4話 薩長同盟
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