蛤御門


京都御所に行ってきました。
目当ては蛤御門のみ。(暑いので)



弾痕が今でもくっきりと残ってます。



一歩中に入ったところです。
ここが、禁門の変の最大の激戦区です。
この木の奥に大きな椋の木があるのがわかるでしょうか?
あそこまで、長州は攻め込んで、本隊の遊撃隊の総督だった木島又兵衛が討ち死にしています。

門の入り口に車を停めてましたんで、奥まで行けませんでした。


この戦で、尊皇攘夷派は完全に劣勢になってしまいます。
この禁門の変がなければ、武市はあるいは処刑されずに済んだかもしれません。


薩摩の下級武士、誠忠組のほとんども尊皇攘夷派だったのでしょうが、久光はあくまで公武合体、大久保も西郷も
それに従うしかなかったのでしょう。


政治的には、江戸へ幕政改革行った隙に都を長州、土佐に席巻され、とりあえず会津と組んで8月18日のクーデターを
起こし、蛤御門でさらに返り討ちにし、してやったりと思っていたんでしょう。