吉田東洋暗殺


文久2年4月8日、吉田東洋暗殺。


武市半平太の指令により、那須信吾・大石団蔵・安岡嘉助の手で暗殺が実行されました。
武市半平太のテロルで、土佐藩のクーデターは成功した。


土佐藩は、薩摩、長州とは違い勤皇よりも佐幕色が強かった。
東洋も英明な開国派ではあったが、又頑固な佐幕府派でもあったと思う。
徳川がなければ山内のなかったのだから、当然といえば当然だったのかも。


藩政改革により、保守派から疎まれていた東洋を、その保守派と連携して武市が葬り去り、実権を手にした。
保守派、守旧派には確固としたイデオロギーなどはなかったと思う。
結局、踵を返し、容堂のいいなりになった守旧派たちに、武市達は殺されたんでしょ?
龍馬はこんな「腐れ藩」にいては何もできないと思ったんだと思います。


余談になりますが、4月8日はお釈迦様の生誕日とも言われています。
奇しくも、明治維新は勤皇の精神が打ちたてたということで、天皇を現人神とし廃仏毀釈運動が起こってしまします。
この一種の狂気は、1945年8月15日まで続いてしまいます。
是か非かは、僕にはわかりません。


ただ言えることは、幕末明治維新での王政復古がなければ、間違いなく日本は高杉晋作が目の当たりにした
上海のように、この日本もなっていた。
そういった意味で二千余年この国の中心にある皇室、天皇を僕は崇めています。


また一方で、釈尊は人類史上、最高の哲学者だとも思ってます。
自分の中にもごく一般的な日本の家庭同様、神棚と仏壇があります。


「内々のたくみがもれて首がなし、気味が吉田と言わぬ人なし」

画像右上: