大政奉還


このブログというかブログのようなものの最初に龍馬の最大の偉業と書きました。
参照:人間、坂本龍馬


薩長に先を越された土佐は必死でした。
そこで、後藤 象二郎は、薩長と懇意である龍馬を尋ね長崎へ向かいます。


龍馬は大政奉還論を説きます。
ここが龍馬の凄いところです。薩長同盟を組ませ、それとは正反対の大政奉還論。
西郷も大久保も桂も、もう武力倒幕に傾いている。
しかし、慶喜が政権を放り投げてしまえば戦争の大義がなくなる。


これは、横井小楠の教えに強く影響を受けていると僕は思います。
それを、佐幕よりの容堂に突きつければ必ずのってくる。
そして側近の後藤 象二郎をつかって、容堂に慶喜への建白書を提出させることに成功。


あとは慶喜の考えしだい。
もちろん慶喜が拒否すれば、戦争は止むを得ないと思っていたでしょう。
方や薩長岩倉具視をして倒幕の密勅を得ようとしてました。
というか、この密勅は、天皇は幼少でしたので御璽を押せばいいだけの話です。


慶喜はやはり英明でした、政権を御所に放り投げたのです。
二条城に上洛中の40藩の重臣を招集し、大政奉還を諮問。
結果、大政は奉還されました。

教科書で見ましたね〜その頃は何なのこれ?でした。


ここで、目を引くのがこの大政奉還の勅許を得るのに薩摩藩城代家老小松帯刀が強く進言してることです。
薩摩藩論は断然、武力倒幕であったのにですよ!
龍馬と小松帯刀の考えが近いと書いたことがありますが、そのとおりだったと思います。

二条城


龍馬はこの大政奉還の決定に泣いて喜び慶喜を称えたそうです。
最後の将軍、徳川慶喜よく決断されたと思います。
また幕臣たちを説得した大久保一翁の存在も忘れてはいけません。

「坂本君、君は考え一つ違えば乱臣賊子になる恐れがある。ご注意あれ。」横井小楠