薩長同盟その2


この頃には、薩摩の大勢は倒幕であったろうとおもいます。
倒幕に一番厄介だったのは、孝明天皇でしょう。
何よりも会津桑名藩をたよりとしあくまで徳川による攘夷に固執した。
薩摩の大久保利通は、公家で岩倉村に隠遁中の岩倉具視に取り入り倒幕策を練った。
   
     孝明天皇(左)             岩倉具視(右)


しかし、第二次長州征討の勅許は下った。
龍馬は、武器弾薬を薩摩名義で買いそれを長州に売る了解を西郷から得ています。
長州は、朝敵であるため、外国から武器の購入ができないでいた。絶体絶命です。


その話を持って竜馬は桂、高杉と会った。
武器弾薬は長州にとって喉からてがでるほどほしかった。残るは私怨だけ。
長州は、悔しいが飲むしかなかったでしょう。
話はついた。あとは双方会い条約を批准するのみ。


社中の方は、近藤長次郎の働きより、ユニオン号の受け取りを果たします。
近藤長次郎は饅頭屋でありましたが、たいへんな秀才で、幼少期から聡明で江戸に出て学問と砲術を学んでます。
龍馬とも仲が良かったようで、しばしば行動を共にしてます。
勝海舟に初めて会いに行ったときも一緒だったと僕は思っています。
龍馬も近藤長次郎に教わること多かったんじゃないかな。
大河ドラマ龍馬伝」では大泉洋が演じます。ぴったりのキャスティングじゃないでしょうか。


しかし、社中の金を流用しトーマス・グラバーに渡した上でイギリス船に乗り込んでイギリスに留学しようとした。
しのことが露見し隊士(この頃には海援隊と改名していたでしょう)に切腹を命ぜられ自刃してます。
享年29歳、若き天才の悔やまれる死です。龍馬はこの時、薩長同盟締結のため京都にいました。

近藤長次郎

「己が居ったら殺しはせぬのぢゃった」龍馬