岩崎弥太郎


今回の「龍馬伝」は岩崎弥太郎の視点から描かれるということです。
正直な話、岩崎弥太郎のことは良く知りません。
土佐出身で、三菱財閥創始者と言うぐらいしか。


なので、今日は勉強も兼ねて岩崎弥太郎について書こうと思います。


1835年1月9日、生まれ龍馬とほぼ同じ時期に生まれてます。
父、岩崎弥次郎、母、美輪の長男として生まれた。

弥太郎の生家


幼い頃から文才を発揮し、14歳頃には当時の藩主山内豊熈にも漢詩を披露し才を認められる。
21歳の時、江戸へ遊学し安積艮斉の塾に入塾する。
1856年父親が酒席での喧嘩により投獄された事を知り帰国。
父親の免罪を訴えたことにより弥太郎も投獄され、村を追放される。


その後、当時蟄居中であった吉田東洋が開いていた少林塾に入塾し、この時期後藤象二郎らの知遇を得る。
東洋が参政となると、これに仕え、藩吏の一員として長崎に派遣されるが、公金で遊蕩したことから半年後に帰国させられる。
この頃、27歳で結婚した。
土佐勤王党の監視や脱藩士の探索などにも従事していた弥太郎は、吉田東洋が暗殺されると、
その犯人の探索を命じられ、同僚の井上佐一郎と共に、藩主の江戸参勤に同行する形で大坂へ赴く。
龍馬も東洋暗殺の嫌疑がかけられている。
帰国後、弥太郎は長崎での藩費浪費の責任なども問われ、職を辞した。



慶応3年(1867年)、後藤象二郎により藩の商務組織・土佐商会主任、長崎留守居役に抜擢され、藩の貿易に従事する。
坂本龍馬が脱藩の罪を許され海援隊土佐藩の外郭機関となると、藩命により隊の経理を担当した。
弥太郎と龍馬は不仲であったともいわれるが弥太郎の日記には、龍馬と酒を酌み交わすなど親交があった様子が記されている。



「「およそ事業をするには、まず人に与えることが必要である。それは、必ず後に大きな利益をもたらすからである。」
 岩崎弥太郎


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